サービス付き高齢者向け住宅「ハーウィル栗橋」・「ハーウィルアシスト栗橋」のある栗橋は、日光街道の江戸・日本橋から数えて7番目の宿場で、この宿には東海道の箱根、中山道の碓氷と並んで三大関所の一つと呼ばれた関所があり、房川渡中田関所と呼ばれていたンダ。
栗橋関所跡碑(せきしょあとひ)
利根川の渡し場として賑わい、関東平野北辺に対する警備上の地として関所が設けられた重要な地であったンダ。
利根川土手外側にある栗橋関所跡碑と案内板
栗橋関所 跡 『房川渡中田(ぼうせんわたしなかだ)・関所』
埼玉県指定旧跡 昭和三十六年九月一日指定
江戸幕府は、交通統制と治安維持のために、主要な街道と国境の山地や大河川を越す要地に関所を設け、特に「入り鉄砲と出女」を取り締まった。栗橋関所は、日光街道が利根川を越す要地に「利根川通り乗船場」から発展した関所の一つで『房川渡中田・関所』と呼ばれた。東海道の箱根、中仙道の碓氷と並んで重要な関所であったという。関所の位置は、現在の堤防の内側で利根川のほとりにあり、寛永年中に関東代官頭の伊奈備前守が番士四人を置いた。以後、番士は明治二年関所廃止まで約二百五十年間、代々世襲で勤めた。関所跡の記念碑は大正十三年に旧番士三家・本陣・宿名主の発起で町内と近在の有志により、徳川家達(いえさと)の揮毫で、旧堤上に建碑され、数度の堤改修により、建設省利根川上流工事事務所の配慮で、今回ここに移設された。
昭和六十年七月 埼玉県教育委員会
栗橋町教育委員会
栗橋関所は利根川堤防強化事業でこの河川敷の中に消えたンダ。少し寂しいけど、今後も強化されスーパー堤防になる予定で、関所が有ったころから難所として知られた利根川の氾濫を心配しないでよくなるンダ。
栗橋関所跡碑と案内板のすぐ裏手は栗橋宿本陣跡発掘調査事務所なンダ。
公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団がせっせと遺跡を調査していたンダ。
写真は撮れなかったけど、そこで働く人たちからいろいろな話を聞くことができたンダ。遺跡で働くみなさんは、やっぱり歴史が好きみたいで栗橋の色々な歴史の話や近隣の見に行くと良いところを紹介してもらえたンダ。発掘調査の様子は公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団のホームページ
http://www.saimaibun.or.jp/
で公開されているので、興味のある方はぜひ見て欲しいンダ。
本店〒349-1123 埼玉県久喜市間鎌470-1ハーウィル栗橋1F事務所